チョコケーキ語訳 みだれ足

まとまらない考えとつたない文章です。

スポーツと男女

Abema Primeの以下の動画を見ていて、その中の議論でのもやっとした中途半端な感じが気になったのでその続きを考えていたらその考えを補完してくれる記事を見つけたので紹介したい。

 

紹介したいのは以下の動画だ。


【多様性】トランスジェンダーのボクシング元世界王者に聞くスポーツ界のジェンダー「悩みながらの競技生活だった」競技の男女別も見直し必要?【東京五輪】|#アベプラ 《アベマで放送中》

www.youtube.com
 議論を軽く整理すると、、、
 
アメリカのある州でトランスジェンダー の女子選手の高校や大学での女子競技への参加を禁じた。というニュースに発す。

トランスジェンダー選手の参加を禁止する法案可決…米ミシシッピ州上院で | Business Insider Japan

禁止の依るところは、元々の性別が男子の選手が女子選手と競い合うことは、彼女らに不当な優位性を与えるという主張だ。
 
一方で今夏に控えたオリンピックでは以下のようにトランスジェンダーの選手の参加ガイドラインが定められている。
1.FTMは、制限なしに男性のカテゴリーの競技に参加する資格を有する。


2.MTFは、下記の条件で、女性のカテゴリーの競技に参加する資格を有する。


2.1. MTF選手は、性の自認が女性であると宣言しないといけない。その宣言は、スポーツの目的に対して、4年間変えることができない。


2.2. MTF選手は、テストロン濃度を測定しなければならない。その濃度は、最初の競技までに少なくとも1年間前から10 nmol/L 以下である。


2.3. MTF競技者の総テストステロン濃度は、女性のカテゴリーにおいて、競技の資格を得る期間を通じて、テストステロン10 nmol/L 以下でなければならない。


2.4. これらの身体の状態は、検査によって測定する。これに従わない場合は、競技者の資格は、12か月間保留とする。

GID/FTM・MTFとオリンピック | 性同一性障害必見の海外医学文献集


つまり
FTM ; 生まれたときに女性としての性を割り当てられたものの、男性として生きることを望むトランスジェンダーの方は特に制限を受けない
MTF ; 生まれたときに男性としての性を割り当てられたものの、女性として生きることを望むトランスジェンダーの方はテストステロン(男性ホルモンの一種)の量を少なくとも1年以上女性よりも低い値に保つ必要があるなどの制限の下で女子カテゴリーに参加できる。
 
オリンピックではトランスジェンダー の女子選手もテストステロン濃度の値を基準にすることで公平な競技を行えると判断した一方で、アメリカではそれでは公平性を担保するのに不十分と判断したということだろう。


実際にアメリカでトランスジェンダー の女子選手が記録を更新するなどの事例も出てきていおる。
 

またこのような例もある。

五輪女子800mでリオ、ロンドンで二連覇したキャスターセメンヤ選手は性分化疾患でテストステロンの値が通常女性の3倍程度あり、世界陸連が薬物によりテストステロンの値を下げることを要求したという事例だ。

セメンヤが欧州人権裁判所に提訴 ホルモン値規定問題で

 

動画の中での議論でも述べられているように、男女を基準にしても例外があり、テストステロンを基準にしても例外が出てくる。性分化疾患にも多数の種類があり、より細かくグループ分けを行なっていっても調整が必要な例が出てくるように思われる.......

 

この辺りで前提となっている部分の検証が行われていないことに気づいた。

 

ここまでの議論の前提として男性は女性より身体的に優れている。またスポーツは男女で別々に競うということが前提になっているように思える。

 

よく考えると前提となっている部分に関して2つの疑問が生じた。

1. 多くのスポーツにおいて身体的に女性は男性よりも劣るのか?女性の方が優っている特徴はないのか?

 

2. あらゆるスポーツは男女という基準に拘って分離する必要があるのか?

という疑問が自分の中でふと浮かんだ。

 

 

まず1つめから考えたい

1. 必ずしもスポーツにおいて身体的に女性は男性よりも劣るのか?女性の方が優っている特徴はないのか?

男性と女性との身体的な差異を確認しよう

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性差についてー日本スポーツ振興センター 表1より引用

https://www.jpnsport.go.jp/jiss/Portals/0/column/woman/seichoki_handobook_3.pdf

確かに一般的に考えられているように、多くの点で女性より男性の方が高い数値を持つ傾向があることがわかる。

身体的に女性が男性よりも高い数値を持つ点としては成熟体脂肪率が挙げられる。脂肪率が高いほど水に浮きやすい。そのためアーティスティックスイミング(旧称シンクロナイズドスイミング)では水に浮きやすいという点で女性の方が有利だそうだ。オリンピックにおいてもアーティスティックスイミングは女子のみだ。

オリンピックにおいて女子のみの競技はアーティスティックスイミングと新体操。男子のみの競技は十種競技

 またウルトラマラソンのような超長距離走になると女子の方に分があると言われている。これにはいくつかの根拠があり、1つ目はまた脂肪に関してだが(女性に脂肪の話はダメ)女性の方が脂肪量が多く、一方で筋肉量が少ないため、長時間の運動ではより効率的にエネルギーを使用できるという説だ。また女性の方が体重に対する表面積が大きいため熱を効率的に放出することができるという学説もある。

 

またここまで身体的な面にフォーカスしてきたがスポーツは身体的な側面だけではない。精神的な側面も大きい。上の例のウルトラマラソンでは、女性の方がペースを維持するのが得意な傾向があるそうだ。

Why women are better at ultra running

https://content.iospress.com/articles/journal-of-sports-analytics/jsa0008

参照

実際にウルトラマラソンの幾つかの大会では女子が男子を抑えて優勝している。

https://sportie.com/2020/01/ultra-marathon参照

 

ここまで軽く調べただけでも、女性の方が優っている身体的特徴、有利なスポーツがあることがわかった。ここまで挙げた例の他にもおそらく同じように女性有利なスポーツがあるだろう。例えば柔軟性や骨格の差異による稼働範囲の違いが男女差でありそのあたりが体操競技には影響しているだろう。

 

また多くのスポーツは男性が有利になるように設計されているのかもしれない。スポーツの歴史として男子競技があり、その後に女子にも門戸が開かれ女子競技が行われた。このため多くのスポーツは当初男子のためにデザインされた競技であったわけだ。この場合当時の方は男子が得意なことで競うようなデザインをするだろう。

 

問いへの結論と考察は、

私たちは競技において男性の方が強く、女性の方が弱いというステレオタイプ的な考えのもとに男女を分離してきた。しかし、そのステレオタイプは全ての身体的な特徴に関してではなく、その考えは男性中心に形成された社会のもとでのものだ。女性の方が有利なスポーツもあり男性の方が有利なスポーツもある。これが多様性っていうやつだろう。それでいいんじゃないだろうか。もちろん有利かどうかに関係なく競技に参加する権利はあり、その中で公平性を保って競えるようにすべきだ。しかし、

私たちが見たいのは最も足が速い男子選手ではなく、きっと最も足が速い人類だ。また最も長距離走れる女子選手ではなく、きっと最も長距離走れる人類だろう。

私たちは男性中心の社会でデザインされたスポーツに固執するのではなく、現代的なスポーツのリデザインを行い、その上で男女差の少ないスポーツでは男女混合で行なっていくべきではないだろうか。男女混合でのスポーツの促進は現代的なジェンダーフリーな社会に適合したスポーツの形成につながるのと考えられる。

 

 

つぎに2.について考えたい。

2. あらゆるスポーツは男女という基準に拘って分離する必要があるのか?

 

一般的に男女では身体的な差異が見られ、これがあっては男女間で公平にならないため分離されている。しかし、例えば身長が大きく影響するバレーボールにおいて男子バレー、女子バレーはあっても高身長バレー、低身長バレーと分離されることはほとんどないだろう。バレーボールは身体的な接触が多いスポーツではないし、筋肉量の男女間での解離の小さい小中学生の頃であれば男女で分離せず身長で分離しても良いのではないかとも考えられる。

また男女というのは確かに身体的に異なる平均値を持つ集団として大きく二分する際に便利な基準だが、男女という分離方法に固執する必要性があるわけではないはずだ。身長が高くて体重の重い集団。その逆の集団のように別の身体的な特徴で分離しても問題はない。(身体的接触の少ないスポーツであれば)

バレーでも身長制限を有した種目が導入されている例もあるようです。

身長制限の新種目を導入/国際バレーボール連盟 | スポーツニュース | 四国新聞社

 

では男女という基準による分離でなければ実際どのような基準で分離すべきだろうか?

 

パラリンピックの考え方が大変助けになる。

パラリンピックでは男女という2つの分類ではなく、より多くの分類が行われている。

パラリンピックではどのような障害や病気をもつのかではなく、体が実行できる動きによりカテゴリー分けされる。

この考え方を健常者のスポーツにも適応して、男女で分けるのではなく、体の動く能力に基づき分類する。

例えば以下のようにカテゴリー分けする。

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https://theconversation.com/why-it-might-be-time-to-eradicate-sex-segregation-in-sports-89305より引用

このようにそれぞれの競技に重要となる身体的な因子に基づきカテゴリーを分類する。

このカテゴリーを決める因子の決定には多くの調整が必要だと想定されるが、このように男女ではなく、身体的な因子に基づき分類することも1つの案だろう。

 

 スタートからかなり遠くに着地してしまった。でも自分の中の違和感は解決した気がする。
 
 
 
 

女性の長距離競技における優位性に関する記事

https://www.bbc.com/news/world-49284389

https://sportie.com/2020/01/ultra-marathon


 
 
 

Youtubeのabema primeの動画を見て思うこと

 Youtubeで見れる報道リアリティーショー アベマプライム(以下アベプラ)の動画にハマっている。

 

 アベプラは主要なテレビ局が扱うのを嫌うようなデリケートな問題に踏み入って取り扱っている点が大変面白い。皆が同じ意見を持つようなテーマよりも多様な意見が現れるテーマの方が興味深いのは当然だろう。またアベプラでは部外者が集まって、VTRの中の当事者を抜きに議論するのではなく、当事者もスタジオに招くなどして議論している点が評価できる。日本においては多くの議論の場で当事者は抜きにされがちである。当事者を抜きにした議論は一種の暴力になりうる非常に危険を孕んだものだ。

 ここまでアベプラを称賛したが、留意すべき点と改善すべき点もある。

 まず留意すべき点はあくまで報道リアリティー"ショー"であることだ。つまりバラエティーだ。視聴者を楽しませることが目的の番組であるから、議論のつまらない部分は省かれがちである。また議論ではなく、論破する番組になっている回もみられる。

 またYoutubeのコメント欄を開放しており、そこで視聴者同士で議論が自由におおなわれているが、適切に議論をコントロールする進行役は勿論いない。デリケートなテーマを扱っているからこそコメント欄の管理は必要なのではないだろうか。さらには出演している当事者の方への誹謗中傷や心ない言葉もみられる。

 

何はともあれ、あくまで私見だ。百聞は一件に如かず。